この部屋を見つけてくれた人の話
昨日は2階でミュージックビデオの撮影がありました。
設定は、一人暮らしの部屋。
このタンスの半分開けっぱなしの引き出しから、脱ぎ散らかした服がだらしなくはみ出しているというシチュエーションでした。
彼らが探していたのは、「適度に生活臭のする部屋」。
けれどレンタルスペースとして見つかるのは、どれも旅館のような部屋や、手入れの行き届いた古民家ばかりで、イイトコのような「整いすぎていない」部屋は貴重なのだそう。
だからここを見つけてくれた時には、すごく喜んでくれたそうです。
そこで私が面白いなと思ったのは、どんな素材でも、必ず必要としている人がどこかにいるんだよね、というお話。
こんな、数々の人が普通に暮らした年季の入った住まいでも、それなりにお手入れして、大切に使い続けていれば、きっと誰かが必要としてくれるってこと。
今回のように、いかにも若い男が一人暮らししているみたいな、時代遅れのアパートの一室、のように。
なので皆さんの周りにある、手垢のついた、見慣れた風景や空間も、捨てたものじゃないかもってこと。
昨日は、それと同時に、イイトコも、気取らなくていい、背伸びしなくていい、そのままでいいんだ、となんだか勇気づけられた気持ちになりました。
ありのままの自分ができること
ありのままでいいって、子育てでも人生でも何でも、救われますよね。
この、「ありのままで大丈夫、何者にもならなくていいんだよ」というメッセージは、何を隠そう、子育てカフェを作りたくて、でもどうすれば作れるのか、できるようになるのか、さっぱりわからなかった自分を勇気づけてくれたフレーズでもあります。
カフェをやるなら、カフェスクールでコーヒーやお菓子のお勉強をしなくちゃいけないの?
とか、
調理師の免許がないといけないの?
とか、考えれば考えるほど、今の自分には足りないものばかりで、こんなんで本当に自分の望むカフェは作れるのか?と不安になるばかり。
もちろん、カフェスクールに行って勉強し、技を身につける道もあるでしょう。
だけど、もう一度学校に入り直すには時間もお金も必要で、小さな子どもを抱えた身にはどうも現実的に思えませんでした。
考えてみれば、人は一人一人みな違うのだから、カフェを作る道だって、たった一つのはずがない。
だったら、この何者でもない一介の主婦でも、できるやり方というものがあるんじゃないのかな?
背伸びしなくても、無理しなくてもいい道があるんじゃないのかな?
と、模索していました。
そんなとき、調布のほうで子連れで働けるコワーキングスペース「cococi 」を作った人が言っていた、
「ありのまま、今持っている持ち物でOK。『何者か』にならなくても大丈夫」
という言葉に心救われたのです。
今以上の者になる、人から一目置かれる存在になる。
「何者か」という言葉で私が連想するのは、そんな感じ。
ですが、そんな人にならなくても、今あるカタチの自分でいいんだよ。
そんな自分でもできることがあるよ。
今のままでいいんだよ。
と、とてつもない力をもらったのです。
この言葉に出会ってからも、当然のことながらいくつもの壁にはぶち当たるのですが、それでも、この言葉を胸に、私の等身大のカフェづくりは始まりました。
何もないからこそ、かえってカフェのコンセプトやありようについて、よくよく突き詰めて考えることにもつながったのだと思います。
また、足りないものを足すのではなく、今すでにあるもの、持ち合わせているものを使って何かをする、ということは意識的にやりました。
もしも足りないものがあれば、それを持ち合わせている人と一緒にやればいい。
そうして、チームを作り、メンバーの力を借りました。
今もそうです。
イイトコの2階の話から、改めて思い出したこの言葉を、「今とは違う自分にならなきゃいけないのかな」とモヤモヤしている人に贈りたいです。
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